なぜテレビはこんなにも嫌われてしまったのか
小さい頃からテレビは僕の憧れだった。
お笑い芸人がテレビでやっていたネタは翌日には学校で話題になっていたし、それを見よう見まねで披露することでクラスの人気者になる事ができた。
それだけ、テレビは影響力があったし、自分の人格形成にも大きな役割を果たしてきたと思っている。
自分は1990年代前半の生まれなので、つい10年くらい前の話である。しかし、今のテレビは影響力を与えるどころか、ただの嫌われ者になってしまったらしい。
今日もこんな的外れなテレビいじめの記事を見た。
昨日(平成29年9月28日)放映した番組「とんねるずのみなさんのおかげでした 30周年記念SP」の番組内コーナーにおいて、とんねるずの石橋貴明氏が「保毛尾田保毛男(ほもおだほもお)」というキャラクターで登場。
他の出演者とともに、「ホモ」という単語を数度に渡り発言し、番組全体として男性同性愛者を笑い、というか嘲笑の対象としていた。
番組を目にする子どもたちへのネガティブな影響が懸念されます。子どもたちが番組の内容を学校で真似をすることで、いじめや無視等につながるやもしれないのです。
記事を要約すると、とんねるずの石橋さんが扮する「保毛尾田保毛男」というキャラクターは、今のLGBTという社会トレンドにはそぐわない。社会に悪影響を与える。こんなものテレビで放送するな。けしからん!
といった内容である。この記事を読んで、正直ひどく呆れてしまった。
誤解を招かないために、先に言っておきたいのだが僕はLGBTなどの性的マイノリティーの人たちを馬鹿にするつもりもないし、個々の意思や主張は十二分に尊重されるべきだと思っている。
僕がひどく呆れたのは、こういったテレビ批判をする人達が、テレビに対して圧倒的な勘違いをしているからである。
どんな勘違いかと言うと、それはテレビがあたかも万人に受けるものだけを流し、誰も傷つけない存在であるという勘違いである。
こういったトンダ勘違いがあるから、「保毛尾田保毛男」さんを見るとすぐに頭に血を登らせ、ギャーギャーと怒ってしまうのである。
今回の件に限らず、最近は政治的に偏った主張や禁止ワードを少しでもテレビで流すと、瞬く間に炎上してしまう。
それは、テレビはどんな人に対しても絶対的に中立的だという勘違いから生まれているのである。
しかしよくよく考えるとテレビ番組というのは、ひとつのコンテンツである。言ってしまえば映画や音楽、小説とも同じ作り手の表現行為なのである。
何かを表現するというのは、それに賛同する人もいるし批判をする人もいる。それは当たり前の事ではないだろうか。
テレビを観ていたら、自分の考えている意見や主張と異なった趣旨の表現がなされている事もあるだろう。それを上手く受け入れるのが正しいテレビの見方なのである。
どうか勘違いしないで欲しい。テレビは決してあなたの為だけにあるものではないし、LGBTの人達だけの為にあるものではない。
このご時世、テレビで何かを表現するという事は物凄く難しくなった。偏った表現を少しでもしようものなら、視聴者が怒り、火をつけ、瞬く間に炎上してしまう。
スポンサーは批判をおそれ、すぐに撤退を検討し気づけばテレビはいつの間にか誰も傷つけない表現しかしなくなった。
原因は分かっている。YouTubeやSNSといった能動的にコンテンツを選べる時代になったからだ。
自分の好きな時間に好きなコンテンツをYouTubeで視聴すれば良いし、自分と異なる意見を持つフォロワーはブロックすれば良い。
ネット社会になって、僕らは自分と異なる意見を観ないようにするようになった。少しでも自分の意見と異なる人がいたら、火をつけ、叩いてしまう。
炎上させるのは簡単だ。ただ異なる意見や表現を上手く受け入れるのは難しい。
テレビを批判するのは、良い。けれどもどうかテレビの持っている鋭さや牙までは抜かないで欲しい。
角のない丸い丸い番組しか流さないテレビはどんなにつまらないだろうか。
テレビの時代はまだまだ終わらない。テレビにしか出来ない表現はまだまだある。どうか画一的にならずに、鋭さを持ち、僕らの憧れであって欲しいと願う。
昔に比べると圧倒的にテレビを観なくなった。けれどもたまにテレビを付けた時のワクワク感は、YouTubeを開く時とは圧倒的に違う。
— JAKO (@keiba_1212) 2017年9月29日